Mistaken Dream

by 雨月秋羅

 

――――――最近、結城さんが変だ。



俺は買ってきた食材を冷蔵庫に入れながら溜息をついた。

ここは結城家。この広い家には高校で1年先輩だった彼しか住んでおらず、 今年から専門学校生となった俺はかなり頻繁に足を運び、……その、半同棲、のような生活を送っている。

結城さんはアパートを出てここに住めばいいと言ってくれるが、大阪の両親になんと言ったらいいか思いつかず、未だに踏ん切りがつかないでいる。



「……ハァ」


もう1度溜息をついて俺は冷蔵庫を閉めた。時計は午前11時を指そうとしている。
そろそろ結城さんが起きてくる時間だ。
俺は重い気分のままフライパンを取り出し、自分をこんなに悩ませてくれる恋人の為に食事の準備に取り掛かる。
料理は好きだ。それが好きな人に食べてもらえるものなら尚更力が入るものだ。しかし、今日はそんな気分にもなれない。
何をしていても考えこんで、暗く沈んでしまう。



原因は……結城さんの態度だ。


結城さんは大学に行くかたわら、バイトとしてコンピュータープログラムを作っている知人の下請作業をしている。 機械音痴の俺には分からないが、その仕事ぶりはなかなかのものらしい。
そのバイトの締切り3日前になると結城さんは学校も休み、食事も殆ど取らず不眠不休の状態でパソコンの前から動かなくなる。
体に良くないと進言したが、不機嫌そうに睨まれて聞き入れてもらえた事はない。もちろんそんな状態だから、その3日間は俺も相手にしてもらえない。

だからプログラムが完成してチェックを受けてOKが出たら、結城さんは半日以上眠り、その目覚めに合わせて俺が食事を作る。
それからはその3日間を埋めるかのように、2人っきりで家に篭りゆっくりと過ごす。
それがここ半年間に定着したスタイル。



なのに、なのに……


俺は重い溜息をつく。



4日前に締切りは終った。
それにハッピーマンデーなどというありがたい連休が重なり、俺は前々からどうやって過ごそうかと考えを巡らせていた。

それなのに、締切り後の深い眠りから覚めた彼は食事をすると、約束があるからといって出かけて行った。
ショックだったが、次の仕事絡みだろうと思って諦めた。

しかしそれが3日間続き、さらに帰宅時間が日付が変わってからという状態になれば話しは違う。
話しかけても上の空の時が多いし、何やら避けられている様な気さえする。

かまってもらえない淋しさより、言い知れない不安が胸に溜まる。
強く問い詰める事ができない自分の勇気の無さを呪った時、リビングの扉が開く音がした。


「……はよ」


まだ完全には目覚めていないボンヤリとした瞳で結城さんが立っていた。
「おはようございます……起しにいこうと思ってたところですよ」
咄嗟に笑顔を作るが、巧く笑えている自信がなかった。
「もうすぐできますから、座って待っとって下さい」


あんなにグルグルと考え込んでいたのに、手はちゃんと動いていたらしい。 ほぼできあがってい料理を前に、俺は泣きたくなってきた。
低血圧のため起きぬけはあまり食べられない彼の食事はいたってシンプルなもの。
ヨーグルトを混ぜた手作りのクイックブレッドと、そら豆のポタージュとグリーンサラダ。 それらを結城さんの前に並べると、彼はボンヤリとしたまま食事を始める。
ほら、変だ。嫌いなそら豆を使った料理なのに、表情も変えずに食べている。

不信感を込めて様子を覗っているが、表情に変化は無い。 ただ食事が進むに連れて頭がハッキリとしてきたのか、定まっていなかった焦点が合い、食べ終わる頃には普段の表情になっていた。


「ごちそうさん」
「お粗末さまでした」

俺は平静を装い、彼の前の空になった食器を下げた。
結城さんはそのままシャワーを浴びにバスルームに行き、俺は不安な心のまま食器を洗う。
このままのパターンだと……その考えを振り切り水を止めた時、乱暴に髪の水気を拭いながら結城さんが戻ってきた。

「立花、俺これからでかけるから」

弾かれたように振り返ると、彼はリビングから出て行こうとしているところだった。
俺は濡れた手を拭いもせずに、白いコットンシャツの二の腕を掴んだ。

「待ってください!」

自分でも思いがけないほど大きな声が出てしまった。当然結城さんも驚いたようで目を見開いている。
そんな彼の様子と、そして引きとめておきながら何の言葉も用意していなかった俺は決まり悪げに視線を下ろし、そして硬直。
頭の中が真っ白になると同時に、目の前が暗くなる、そんな錯覚に俺は全身を強張らせた。

シャツのボタンを止めていなかったため、シャワーの湯でしっとりとした艶のある肌が目の前にある。
しかし問題はそこではない。


「ゆ、うき……さん……」

「何だよ……あ」


俺の視線の先に気づいた彼は、小さく呟くと俺の手を振り払った。
陽に焼ける事のない白い肌に点々と、紅い痕。1年前の俺ならば虫に刺されたと言われれば納得したかもしれないが、それは紛れもなく………

「じ、じゃあな」

後ずさりはじめたその手首を再び捕らえる。
ここ1週間、結城さんとはキスすら満足にしていない。当然その痕は自分がつけたわけではなく……。
他の誰か。

「……結城さん」
「離せ!」

再び振り払おうとされるが、今でも空手の道場に通い茶帯以下の子供達の指導のバイトもしている俺とでは、力の差は歴然だ。

「結城さん」

暴れる彼の両手首を掴みながら、俺は呟いた。
いつかこんな日が来るかもしれないとは思っていた。こんなに魅力のある人が、どうして同性の自分を好きだと言ってくれるのか、ずっと疑問だったから。
でも、でも……

「……俺の事、嫌いになったんやったら……なんでもっと早く言ってくれなかったんですか……」

恋人が浮気をした。それなのに怒る事すらできないのは、自分に自信がないから。嫉妬は感じるのに、それでも仕方のない事だと諦めてしまっている。
でも、ちゃんと言って欲しかった。キスマークなどという証拠を見て、こんな惨めな気分になるくらいなら、彼の口からハッキリ終りを告げられた方が良かった。

「別れたいんなら、なんで……もっと……」

キリキリと心が痛むのは絶望から。
もうこの家には来れない。話すのも、顔を合わせる事もできない。きっとその度に俺は結城さんを好きだと思ってしまうから。
迷惑にはなりたくないし、しつこい奴だと疎まれたくもない。
俺はいつのまにか暴れるのをやめた彼の手首を離し、情けなくもその場に座り込んだ。
結城さんの裸足の足が目の前にある。
目尻に涙が浮びかけた時、「あのさぁ」という声が発せられた。
ノロノロと顔を上げると、結城さんが不思議そうな目で俺を見下ろしていた。

「俺、お前の事、嫌いになんてなってないぞ」

「――――――はい?」

意味が分からず聞き返すと、彼は首を傾けた。
「嫌いじゃない、って言ったんだよ。今まで通り好きだぜ?」
俺はポカンとその顔を見つめた。
「別れたいなんて思ってもいねーし」
『なんでそんな事を言い出すんだ?』といった表情で見下ろされ、俺は口を開いた。

「だ……だって、そのキスマーク」

胸元はおろか、腹部にまで刻まれた跡。それは今でもシャツの合間からチラチラ見えている。
他の誰かとSEXをした証。
それなのに、この人は何を……と思っていると、彼は少し笑った。

「ああ、これな」

そう言いながら一瞬シャツの前を自分で開き、それから少し考えるような素振りをした後、目線を合わせるように屈んだ。

「……立花、人生ってのは刺激が大事なんだ」
「……はぁ」
「毎日、同じ事の繰り返しじゃ飽きるし、退屈だろ?」

子供に言い聞かせるような優しい声。

「いい女がいたら視線を奪われるし、口説きたいと思うだろ?」
確かに綺麗な女の人に見惚れる事はあるけれど……口説きたいとまでは思わない。
茫然としながらも、そんな事を思ってしまう。

「そういった刺激を感じる事が、お前を好きでい続ける為に必要なんだよ」
「……意味が分かりません……」

彼の言っている事は分かる。しかし理解ができない。
その人を好きでい続ける為に、他の誰かの存在が必要だなんて考えた事も思った事も無い。

「そうか?でも俺は思うんだよなぁ」
座り込んだままの俺の前で、結城さんはニッコリと笑う。
「他の奴とキスしたりSEXしたりする度に、ああ立花とする方が楽しいって」

……と、言う事は俺が気がつかなかっただけで、これまでも何度かあったという事だ。
綺麗な笑顔でなんて残酷な事を言うのだろう。なんか本気で泣きたい気分になってきた。

「やっぱり俺はお前が好きなんだなぁ、って実感するんだよ」

項垂れる俺の頭を撫で、彼は立ち上がる。

「ま、そういう訳で約束があるから出かけるな。夕飯は食ってくるし遅くなるから先に寝ててくれよ」

そう言って、軽やかな足取りで階段を昇って行ってしまう。
恋人たる家主がいないのに、どうしてこの家で眠らなければならないのか、という突っ込みは今はする気にはなれない。

――――――理解できない。俺は結城さんがただそこにいるだけで幸せで、恋愛感情を実感できるというのに、彼はそれだけでは足りないという。
自分が退屈な人間だから刺激が欲しいというのだろうか?
だから他の人とSEXしないと……

「嫌、です……」

誰もいないリビングで呟く。今頃結城さんは自室で着替え、誰かと会う為の準備をしているのだろう。

「嫌です……行かないで下さい……」

俺は立ち上がり、涙を堪えるためにギュッと瞼を閉じる。
情けなくて、でもそれ以上に悔しくて。
俺の為の浮気だと言うけれど……。

(嫌だ、嫌だ、嫌だ、絶対に嫌だ!)

止めなくては。どんな手段を使ってでも、絶対に家から出さない。
行かせない!
俺は顔を上げて、階段を駆け上がった。
我慢していたはずの涙がまた浮び始めていた。










「……い、おい、立花……」

グラグラと体が揺らされる。

「立花、おい、起きろよ」

耳に忍び込み、脳がその声を捕らえた途端、俺は目を開いた。

「おい、大丈夫か?うなされてたぜ?」

顔を覗き込んでくるのは結城さん。
俺は慌てて起きあがると、彼を抱きしめた。

「結城さん、結城さん!!」
どこにも行かせまいとギュッと抱きしめる。
「嫌です!行かないで下さい!!」
肩に額をつけるようにして叫ぶと、ややしてからポンポンと背中を叩かれる。
「なぁんだ?嫌な夢でも見たのか?」
柔らかい声が耳をくすぐる。
「大丈夫だよ。俺はどこにも行かないって」
手が俺を安心させるかのように背中を撫で、俺は瞬きをしてから腕を緩めた。
「……夢?」
呟くと、結城さんは苦笑いしながらシャツの袖で俺の額を拭いた。
「こんな所で居眠りなんかするから変な夢を見るんだ。汗ビッショリだぞ」
辺りを見まわすと俺はリビングのソファの前に座っていて、周りには乾いた洗濯物が散らばっていた。
窓からは斜陽が差し込んでいた。どうやら洗濯物を畳んでいるうちに居眠りをし、あんな夢を見てしまったらしい。

「夢……」

俺は大きく息を吐き出すと、もう1度結城さんを抱きしめた。
「なんだ?そんなに怖い夢を見たのか?」
クスクスと笑いながら抱きしめ返してくる。俺は肩に頬を擦り付けながら目を閉じた。
「……怖かったです」
これ以上無いくらい嫌な夢だった。

(そうや、結城さんがあんなこと言うわけがない)

軽く息を吐き出すと、それに気づいたのか結城さんは抱きしめ返していた腕を解いた。
「もう大丈夫か?」
「はい……すみませんでした」
後ろめたさと恥ずかしさに顔を赤くしながら俺も腕を離した。
そして気づく。
「……どこかに出かけるんですか?」
部屋着ではないその姿に問うと、彼は頷いた。
「ああ、出かけてくる。帰りは」

「ダメです!!」

言葉をさえぎり、再び抱きしめる。
「どこにも行ったらダメです!!」
あの嫌な夢の続きのような気がして大声を出すと、結城さんの呆れたような呟いた。
「ダメってお前……約束どうするんだよ」
「だ、誰と約束したんですか?」
拘束するように腕を回したまま顔を上げると、彼は眉を寄せた。

「誰って……晶だろ?」
「え……晶、さん?」

「朝、言っただろ。晶のパソコンの調子が悪いみたいだから見に行くって」
晶さんのパソコンは結城さんが組み立てたものだから、故障した場合は当然連絡がくる。
「あ……そうでした……」
そして、その話は今朝確かに彼の口から聞いていた。
すっかり忘れて取り乱した事に更に顔が赤くなるが、結城さんは訝しげな顔をしたままだった。
「珍しいな……お前が晶絡みの事を忘れるなんて……」
確かに普段ならば絶対に忘れないだろう。しかしあんな夢を見た後だから、動転して抜け落ちてしまったらしい。
「す、すみません……」
慌てて腕を離すが、結城さんは眉をよせたまま俺の顔をジッと見ている。

「……お前、さっきも言ったよな。行かないで下さい、って」

揺すり起されて、叫んだ言葉。
それは覚えていたので、とりあえず頷いた。


沈黙が落ちる。


窓からの斜陽の光が徐々に暗くなる中、目の前の恋人は腕を組んだ。
「――――――お前、なんの夢を見た?」

その静かな問いに冷やかさを感じ、俺は一瞬身震いをした。
「夢ん中で俺はどこに何しに行ったんだ?」
唇は薄く笑んでいるが、目は全然笑っていない。恐らく内容に大方の察しがついたのだろう。

(さ、聡すぎます〜〜)

タラリと背筋に冷たいモノが流れた。
言えない。絶対に言えない。怒られるのは目に見えている。
俺は視線を外せないまま逃げ道を探し、時計を指差した。

「ゆ、結城さん、それより、時間に遅れます!」

俺を射竦めるようにしていた視線が動き、時計の針を認めて小さく舌打をした。

「まあいい……続きは帰ってからだ」

低い呟きに俺の冷や汗は量を増す。
「は、早く帰ってきて下さいね」
いつものセリフだが、心が伴っていないせいか上滑りをしているような気がする。
そんな俺を見つめたまま彼は立ち上がり、薄く笑った。

「ああ、早く帰ってくる……逃げるなよ?」

その笑いはやはり瞳が怒っていて、顔が整っている分だけ恐ろしく見えた。
カクカクと頷くと、結城さんは静かにリビングから出て行って、少しして玄関の扉の閉まる音がした。
彼は出かけた。

そう思った途端、俺は全身の力が抜けてズルズルとソファに凭れた。


「――――――どないしよう……」


嘘をつき通せた事などない。ポーカーフェイスなんて無縁だし、あの海千山千の結城さんが騙されてくれるとも思えない。
しかし知られたら逆鱗に触れる事は確かだ。

「……どないしよう」

呟いて考えこむが、策が思いつくはずも無くこの家から逃げ出したい気持ちが湧いてくる。

「――――――とにかく」

俺は重い溜息をつくと、その場に座り直して洗濯物を手に取る。これをさっさと片してしまい、夕食の準備に取り掛かろう。 場合によっては帰りが何時になるか分からないと朝は言っていたが、あの様子だと本当に早く帰ってくるだろう。 こうなったら彼の好物でも作ってご機嫌を取り、有耶無耶ににするしかない。
成功するかは別にして――――――。

俺は再び深い溜息をついた。







その夜遅く、俺は誘われるがままベットに入り迂闊にも気を抜いてしまい――――――

「……ふぅん……」

という呟きの後に布団から蹴り出され、3日間無視という重い罰を受ける事となった。

「結城さん〜」

今日も重い溜息と共に、俺は情けない声で呼びかける。
そんな俺がどういう方法で結城さんの機嫌を取ったかというと………
それだけは絶対に誰にも言えない。


――――――いろんな意味で……。









2001.06.24  脱稿




夢オチなんて卑怯な手段を使った上に、おもしろくない……
ごめんなさい……





何を仰るのですか!
かなり無理矢理おねだりして、私のため…(いや、違うかも…)雨月さんに立花×結城を書いていただきました。
そんな素敵なお話しを奪った…いえ頂いたというのにこのタイトルは私がつけました…。雨月さんごめんなさい。
うちの立花×結城はいまひとつなのに…。雨月さんのところのふたりはナーイスカップル!
また新しいお話が届くかな?なーんて期待しているのですが、雨月さん。

 


















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