木綿のハンカチーフ
By
姫江
朔也様
「先生、欲しいものある?」
いつものように我がもの顔でくつろぐ早坂晶が問いかけてきた。
「欲しいもの?」
突然の問いに櫻井は戸惑ったように繰り返す。
「そう。欲しいもの」
欲しいものはある。だけどそれは要求して得るものではなく、自然に零れるものであってほしい。だからこそ、それを口にすることは出来ない。
「…あるけどね。それは秘密」
要求して得られるものは偽りだと思うから。
「なんだよ、それ?考えても解らないから訊いたのに」
「どんなものであれ、早坂がくれるものなら僕は嬉しいよ」
それは嘘ではない。ただ一番欲しいものは……晶の心。自分に向けられる感情が少しずつ変化していることには気づいている。その変化した心を言葉にして伝えて欲しい。もちろん独占したい、自分以外の誰も目に入らないようにしたい、とも思う。今はそれ以上に晶の心が欲しい。
「本人に訊くのが一番だと思ったのに」
ふてくされたように立ちあがる。
「晶、もう帰るのかい?」
何も話さなくていい。もう少し晶の存在を感じていたいのに。
「欲しいものが解らないならここにいても仕方ないだろ?帰るよ」
使っていたマグカップを手早く洗い、ドアに向かう。
「じゃあね、先生。コーヒーご馳走様」
そのままドアの向こうに消えて行った。
「…つれないねぇ……」
――未練も何もあったもんじゃない
名残惜しげにドアを見つめていた視線を強引に引き剥がす。
――ドアを見ていたって晶が戻って来る訳ではないんだけどね
いつも浮かべている笑みを苦笑いに変えて、手元の書類に目を落とした。
そして誕生日当日。性格に少々(かなり?)問題があっても、生徒たちに慕われている櫻井の元に、放課後には結構な数のプレゼントが届けられていた。だが、その中に晶からのプレゼントはない。
わざわざ「何が欲しい?」と訊きに来たのだから、忘れている訳ではないだろう。 それでも生徒たちからプレゼントが届けられる度に不安になる。
品物が欲しい訳ではない。晶が忘れないでいてくれることが何よりも大切なことだった。
4時を回っても晶は現れない。
「忘れられたのかねぇ…?」
何でもないことのように口にしてみるが、寂しさは拭えない。
――晶の特別になれたと思っていたけれど、まだだったのかな……?
いい年をした大人が誕生日プレゼントごときに拘るなんておかしいのかもしれない。それでも晶からの「おめでとう」の一言が欲しかった。
時計は5時過ぎを指していた。
「今日は何を食べようか?」
晶が来てくれたら小洒落たレストランで食事をしようと思っていたのだが、当の晶は現れない。二人で食事する姿を思い描いていた場所に一人で行くのは寂しすぎる。
――約束をしておくべきだったか……
自嘲するような笑みを口元に浮かべ、目の前に広げてあったファイルを閉じた。
パタパタと廊下を走る軽快な足音がする。静かにドアが開き、滑り込んで来る気配。
「先生」
諦めかけていた心が踊る。
声のした方を見ると、待ち焦がれていた晶が立っていた。
「プレゼントを持ってきたんだ」
近づいて来る晶に、安堵の笑みが浮かぶ。
「…忘れられていると思ったよ」
「何が欲しいか訊いたのに忘れる訳ないだろ?」
櫻井の目の前で立ち止まると、ラッピングされた小さな箱を差し出した。
「はい。先生、誕生日おめでとう」
今日訊いた中で、一番嬉しい「おめでとう」の言葉だった。
同じ言葉なのに、こんなにも気分が違う。
「ありがとう、晶」
100人の「おめでとう」より、晶からの言葉の方が嬉しいのは、自分の心が彼にあるからだろうか?
「先生、開けてみて」
「うん。なんだろう?」
促されて開けてみると、春らしい鮮やかなブルーの木綿のハンカチが現れた。櫻井の動きが止まる。
―― 晶はハンカチを贈ることの意味を知っているのだろうか?
知らないのなら言わない方が良いだろう。折角の気持ちに水を差すことになる。折をみてさり気なく伝えれば良い。
「……ありがとう。綺麗な色だね」
あたり触りのない答えに、何故か晶は不満そうだった。
「先生、ハンカチをプレゼントする意味って知ってる?」
その言葉に心臓が冷やりとする。
「……知っているよ」
――晶は解っててハンカチを贈った……?
それは自分との微妙とはいえ、この付き合いを終わらせたいということだろう。
カーッと頭に血が上る。
「でもね、晶、僕は始めに言ったよ?『僕が本気になったら晶を離さない』、って。僕はもう本気だよ。今更 『別れたい』と言っても、別れるつもりはないからね」
穏やかな口調とは裏腹に、呆然としている晶を思いのままに抱きしめた。
「わっ!?先生?!」
もがく晶を離すまいと、抱きしめた腕に力を込める。
「誤解だってば!先生!!」
ミシミシと音を立てそうなほどの力で抱きしめられながら、囁くように晶が叫ぶ。
激情に突き動かされていた櫻井に、ゆっくりとその言葉が届いた。
わずかに腕が緩む。
「……誤解……?」
「そうだよ…先生、苦しい……」
晶に逃げ出す意思のないことを確認して、腕の力を緩めた。
「優男(やさおとこ)のくせに、なんでこんなに力があるんだよ?」
文句を言いながら、深呼吸を繰り返す。落ち着いたところで、
「おれが言いたかったのは、『生徒と先生の関係とはお別れ』ってこと」
覚悟を決めたように櫻井を見上げる。そして、
「ずっと待たせてごめん。…おれも先生のこと、好きだよ……」
言うが早いか、白衣の襟を引き寄せてぶつけるように口づけた。
「…あきら……」
――信じられない…一番欲しかったものが手に入った……
「先生の欲しいものは解らないけど、おれが先生にあげられる精一杯のものだから」
つかの間呆けていた櫻井だが、伊達に場数を踏んでいる大人ではない。
「…ありがとう。僕の一番欲しかったものだよ」
――一番欲しくて、絶対に要求出来なかったもの。
「……良かった……」
おずおずと晶の腕が櫻井の背に回される。
嬉しくて「時間よ止まれ!」と思うくらい嬉しくて、どうにかなってしまいそうだった。しかしそこは櫻井、すぐにいつもの調子を取り戻す。
「自分から『先生と生徒の関係はお別れ』なんて言っておいて、呼び方は『先生』なのかい?もう一度 今度は名前で呼んで欲しいね」
「ええっ!?」
瞬時に晶の顔が真っ赤になる。
「『恭一』って呼んで。あきら」
舞い上がる心を無理やり押さえつけ、
「絶対呼ばない!」
照れ隠しに睨みつける晶に微笑みかける。
「…あきら」
愛しい彼の名前を呼んで、今度は櫻井から唇を寄せた。 二人の他(ほか)は誰もいない保健室で、木綿のハンカチーフだけが見守っていた。
おわり
BOYxBOYでお知り合いになった朔也さんがサイトに掲載していたらぶらぶストーリーを超我が侭を申し上げて奪った、いえ頂いたものです(笑)。
ふたりの関係が先生と生徒からじょじょに大切な人へと変わる様が、お姉さんにはぐっと拳を握りこんでしまうくらいなのですが(苦笑)、ゆっくりとお互いの気持ちが育まれるところがこのふたりを見続けたいと思うポイントだと思ってます。
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