Only One

by 村上綾子様

 




“ピピッ”
体温計から発せられる、機械音。
「・・・見せてみろ」
いつもと変わらぬ静かな声でそう言って、御神薙は手を差し出した。
暁人は自分の口から咥えていた体温計を抜いて御神薙に手渡す。
「…………」
「…どう?」
無言で体温計を見つめている御神薙に、暁人は恐る恐る聞いてみた。
「…39度…」
体温計のスイッチを切り、御神薙は溜息をつく。
「昨日雨の中、うろついているからだ。もっと早く帰ればよかった」



すべてが終わってから、三ヶ月が経つ。
あの後御神薙は、兄を失って一人きりになった暁人の傍にいるために今は暁人の家に移り住み、二人で暮らしている。
御神薙が傍にいてくれる事は何よりも嬉しかったけれど、自分のせいでまた彼の人生を狂わせてしまっているのではないかと暁人は心配し、一度は“そこまで迷惑はかけられない”と言ったのだが…
“義務ではない。オレがしたくてしていることだ。”
御神薙はこれからも、暁人の傍にいると約束してくれた。



二人きりの生活が始まって驚いたのだが、御神薙は思いのほか日常生活に溶け込んでいた。
必要最低限の家事はどうやら出来るらしい。
そして御神薙は様々な国で経験した出来事を語り、暁人を喜ばせた。
何千年も国を渡り歩いてきた彼から語られる話題は、途切れる事はない。
だがその反面、世俗的な事には疎いらしく“遊び”“ファッション”などについてはまったく興味を示さず、知識もない。
「代行者」として戦い、生き抜く事しか知らなかった御神薙。
暁人はそんな彼に少しでもこの世界の楽しさを知ってもらいたくていろいろな場所に連れて行った。


そして昨日も二人で街に買い物に行き、雨が降り出したときそろそろ帰ったほうが良いのではないかという御神薙の忠告を聞かないで遊びまわっていたら・・・

風邪をひいた、という訳だ。


「なかなか熱が下がらないな…」
御神薙はそう呟くと、立ち上がった。
傍にかけてあった上着を手にとると、素早く羽織る。
「…出かけるの?」
「ああ。薬を買ってくる。」
「……」
不安そうに見上げてくる暁人に、御神薙は微笑んだ。
「すぐ戻る」
「うん・・・いってらっしゃい」
「じゃあ、行って来る」
御神薙がドアの向こうに消えていくのを、暁人は寂しそうに見送った。



………
御神薙が出ていってから10分。
薬屋のある駅前まで、暁人の足なら片道20分。御神薙なら10分とかからないだろう。
「…まだだよね…」
一人きりの部屋は、いつもより広く感じられる。
おまけにさらに熱が上がってきたらしく、容赦ない寒気が暁人の身体を包んでいる。
「寒い…」
布団の中に潜り込み身体を丸くするが、寒気は一向に収まらない
今まで風邪をひいた時は兄の総一郎が看病をしてくれた。
普段から暁人には甘い兄が、病気の時はいっそう甘くなったものだ。
その兄がいなくなって…一人きりになってしまったけど。
今は、御神薙がいてくれる。
すべてが終わった直後は、怖くて寂しくて、一人では眠る事が出来なかった。
“一人は怖い”と暁人が言うと、御神薙は暁人が眠りにつくまで手を握り、ずっと傍にいてくれた。夜通しつきっきりだったこともよくある。
“お前の眠りはオレが守る。安心して眠るといい”
子守唄のようにそう言い聞かせて。
言葉は少ないけれど、御神薙の優しさは暖かく、心地よく伝わってくる。
彼がいてくれたから、今こうやって生きていられるのだ。
御神薙が…いてくれたから…
御神薙が…いなくなったら?


“…!”
どくん、と心臓が高鳴る。
御神薙はずっと一緒にいると約束してくれた。
だけど…もし、まだ彼の命を狙うものがいたら?
「…いやだ…」
暁人は布団の端を握り締め、身を硬くした。
始祖も、一族も既にいないはずだ。
でも、もし…まだ残っていたら…?彼の命を狙っていたら?
それが今日だったら?
このまま、御神薙が帰って来なかったら?
“マタ…ボクハヒトリ…”
「…やだ…御神薙…やだ…」
身体の震えが止まらない…


“怖いよ…!”



その時、ドアを開ける音が暁人の耳に聞こえた。
「…!」
その音に反応するように、暁人は布団から身を起した。
続いて、階段を上がってくる音。
がちゃり、と音を立てて、ビニール袋を抱えた御神薙が入って来た。
「…起きてたのか?気分はどうだ?」
「…御神薙…」
そこに立っていたのは、いつも通りの御神薙。
静かな口調で冷たい空気を纏い…それでも暁人に向けられる瞳は、誰よりも優しい。
「…っ…」
御神薙の顔を見た途端、暁人の目から安堵の涙が零れ落ちた。
「暁人…?」
ぽろぽろと涙を流す暁人に驚き、御神薙はビニール袋を床に置き暁人の傍に歩み寄った。
暁人の顔を覗き込みながら、穏やかな声で問い掛ける。
「どうした?」
「……」
「どこか痛むのか?」
暁人は必死に“違う”と首を横に振った。
御神薙は心配そうに暁人の額に手をやる。
「熱が上がってきてる。気分が悪いのか?」
再び首を横に振る。
「…御神薙が…っ、帰って、来なかったら…どうしようって…」
嗚咽をこらえながらの暁人の言葉に、御神薙は微かに目を丸くする。
「また、ひとりに…なったらって思ったら…怖くてっ…」
「…暁人…」
なぜ暁人が急にそんな事を言い出すのかが、御神薙には理解できなかった。
病気になると人間は弱気になるというがそれも影響しているのか…
だが理由はどうあれ、自分が暁人の傍を離れたことで暁人を泣かせていると思うと、胸が痛んだ。
「暁人、大丈夫だ。オレはここにいる。帰ってきた。」
優しく言い聞かせるようにしながら、御神薙は暁人の身体を抱き締めた。
「どこにもいかない。暁人の傍にいる。ずっと守る。」
「…御神薙…」
普段御神薙は、必要以上に暁人には触れないようにしている。
それは、暁人が人との接触を嫌がる事を知っていたからだ。
もちろん暁人は御神薙に触れられるのは嫌ではなかったし、むしろ安心できた。それは御神薙にも伝えてある。
それでも彼なりに気を使っているのだろう。
“贄”として扱われてきた暁人の過去を知っているからこそ…
だが泣かれたりした時はこうやって、躊躇せずに暁人を抱き締めてくれる。
「傍にいる…」
耳元で囁かれる、御神薙の声。
あまり高揚のない声だが、暁人にとっては誰よりも落ち着く、心地よい声。
しだいに、乱れていた心臓の音が落ち着いてくるのがわかった。
「うん…」
「…ずっとここにいる…大丈夫だ…」
「うん…」
暁人は御神薙の背中にそっと手を回し、抱き返す。
しばらく二人はそうやって抱き合っていたが、ふいに御神薙が身を離した。
「…?どうしたの?」
「…お前の身体は震えている。今熱が上がっているところではないのか?」
「あ…」
御神薙とくっついていてすっかり忘れていたが、身体を離した途端、寒さがぶり返してきた。
身体を震わせている暁人を見て、御神薙はベットに暁人の身体を横たえる。
「まだ寝ていた方がいい。」
布団を被せ、さらにそばにあった毛布も重ねる。
「寒いか?」
「…うん…少し…でも、大丈夫だよ」
本当は少しどころではないのだが、これ以上心配をかけたくない。
いきなり泣き出したりして、これ以上何を困らせるのだと言われたらそれまでだが…ぎこちなく笑う暁人に、御神薙は溜息をついた。
「無理をするな。顔色が悪い」
「…ほんとに大丈夫だよ」


暁人が問い掛ける間もなく、御神薙は布団を捲り上げ、中に入って来た。
そして、暁人の身体をしっかりと胸に抱きこむ。
「…御神薙…」
「オレの体温はあまり高くないが、多少は暖まるだろう。」
そう言って、御神薙は暁人の髪に手を差し入れ、優しく何度も梳いてやる。
「少し、休め。お前が目を覚ますまでずっとこうしてる。」
確かに、御神薙の体温は常人より低い。
それでも、優しく包んでくれる御神薙の体温は、とても暖かく感じられた。
この腕に包まれている限り…自分は一人ではないのだと、実感する。
「ありがとう…君には、いつも迷惑をかけてばかりだね…」
暁人がそう言うと、御神薙は少しだけ身を離し、暁人の瞳をじっと見つめた。
整った容貌の上、深い吸い込まれそうな色の御神薙の瞳。
ふと、その瞳が和らいだ表情になった。
「オレにはお前がいればいい。だから迷惑などではない」
「…でも…」
「オレに何かを返したいと思っているのなら、オレの傍にいてくれればいい。他には何もいらない」
そう言って、御神薙は再び暁人を抱き締めた。
「だから…俺の傍で眠れ。それだけで、オレは満たされる」
柔らかく響く御神薙の声に、暁人はゆっくりと目を閉じた。
こんなにたくさんの安らぎをもらって。望んでいる言葉をくれて。
それなのに、自分は何も返せない。
御神薙の優しさに甘えてばかりで、戦いが終わった今でも、彼を縛り付けている気がする。
「…ごめんね…甘えてばかりで…」
「…暁人?」
それでも…甘えだとは解っているけど…
「でも…僕は…君の傍にいたいよ…」
他の誰でもなく、御神薙の傍に。
「…離れたくない、よ…-」
その言葉が言い終わるとほぼ同時に、暁人は眠りについた。




すやすやと、暁人から穏やかな寝息が聞こえてくる。
しっかりと御神薙の服を掴み、暖を取ろうと鼻を胸元に摺り寄せてくるそのしぐさに御神薙は思わず微笑む。
暁人が一人でいるのを嫌がるのはこれが初めてではないが、ここまで取り乱すのは久々な気がした。
「…あ…」
少し考えて、気づく。
家にいるときも寝てる時も、ほとんど暁人から離れたことがなかったからだ。
暁人の望むように、そして自分の望むように暁人の傍にいた。
長い年月離れ離れになっていた時間を、取り戻すかのように。
“僕は君をがっかりさせてしまったのかな…”
以前、暁人に“彼”の話をしたとき、暁人は少し申し訳なさそうにそう言った。
自分は御神薙の望む魂を持ちながらも、まったく違う人格を持っているからと。
その時御神薙は「それはない」と伝えた。
前世も何も関係なく、暁人を守りたいと思ったから。
その気持ちはもちろん今でも変わらない。
「久神暁人」を守りたい。傍にいたい。
一度掴んだ手を、離すつもりなどない。
それが自分の何よりの願いで…
暁人も同じ様に傍にいたいと願ってくれているのなら、それほど幸せな事はない。
「…お前からは、もうたくさんもらっている…」
腕の中にいるのは、誰よりも大切な人。
自分に身を委ね眠っている暁人の身体は暖かく、何よりも愛しく感じた。
暁人はこんなにも、穏やかな時間を与えてくれている。
「…お前がいれば…なにもいらない…」
暁人が目を覚まさないように優しく身体を抱き寄せ、御神薙も目を閉じた。



これからも、二人で生きていく日々は続いていくだろう。



何物にも換えられない、温もり。
今度こそ、大切に守っていこう。



暁人を抱き締めてつく眠りは御神薙が今まで感じた事がないほど、心地よかった。




END

 

 







 

とても素敵な作品を村上様から頂きましたっ!
千日紅様のサイトにも作品がお披露目されてます。
うちからリンクを貼ってますので、ぜひぜひそちらの村上様の作品もご覧になってくださいね。

 









































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